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釜石医師会報

No.321 平成27年12月号

大槌湾に浮かぶひょっこりひょうたん島

平成26年1月26日、ふと思い立って大槌の漁港を訪ねた。ひょうたん島(蓬莱島)へ繋がる新しい防波堤の様子も見たかったからだ。風が強い日で波が高く、未完成の防波堤に波しぶきが舞い、その先にひょうたん島のシルエットが映し出された。ここが自然豊かな私のふるさとである。そして自然への畏怖を決して忘れてはならないと思った。

植田 俊郎

巻頭言

震災から4年9ヶ月
堀 晃

震災から4年9ヶ月を過ぎようとしている。復興が進む中、時の流れが早いと思う人、遅いと思う人、それぞれの歩んできた道のりで考え方が異なると思う。
自分自身はどうであるのか?
震災当時63歳であった私は、震災直後の状況から一からの出直しての医院再開は困難と思っていた。それが震災直後わずか40日で中妻地区に耳鼻科・眼科の専門医として診療できる仮診療所を立ちあげた事は今となっては驚きである。これを実現できた原動力は震災により家族・当時医院にいた患者さん・従業員等に犠牲者がでなかったこと。被災した建物が使えると判断しそれに伴い動いてくれた建築関係者・医療関係者そして周囲の励まし・援助が上手く回り相乗効果となり、それに乗っかり自分自身もそう状態となり医院再開までの目標を掲げた。
震災1年後に医院を立ち上げ、震災地域に早く帰り街に灯りをともそう等と考え行動を開始。時期は少し遅れたが1年2ヶ月後には元の場所に戻り診療開始した。この時、医者として働けるのは75歳までと設定し今日まで働いてきた。振り返ると目標を設定しもう5年経とうとしている。残りあと7年しかないと思い初めたら、気持ちが少し後ろ向きになっている。これまでは自分の城を築くまで夢中であった。周囲を見回すと街並みは震災前より明るくなったが夜になると周囲に住む住民は数人しかいない現実に驚いている。近くに住んでいる住民がわずかしかいないのである。数ヶ月前から震災地区内に高層災害公営住宅の工事が始まった。完成は来年の春以降とのこと。まだ大勢の方が仮設住宅に住んでいる。彼等にとってはこの5年間は長い道程であったと思っている。
私にとっては震災後の5年はあっという間であった。最近写真を整理しながら思ったことは仮診療所での自分自身の写真を見ているとまだここで負けていられないとの意気込みが感じられるが、今の自分の写真は温和な顔付きにみえる。年をとったせいもあるのかな?
これから目標に掲げた75歳まで無駄のない有意義な時間をどのように設定し過ごすかを模索している。

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