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釜石医師会報

No.375 令和6年12月号

『釜石ルミナリエに込めた思いとは』

NHO釜石病院の前庭イルミネーションは、国立療養所時代の2001年の暮れからスタートしました。当初はガーデニング用の電球を飾っていましたが、バリアフリーアーケードが設置されてからは、そこを光のトンネルにする事が出来、屋上の飾り付けと相まって非営利のものとしてはゴージャスな感じになっております。皆さんから見るといつもビカビカしている様にしか見えないと思いますが、毎年、作者が色々な事を念じながら作成しております。さて今回は何を思って作成したでしょうか。

国立釜石病院  土肥 守

巻頭言

祝寿を考えた
植田医院  植田俊郎

今年古希(70歳)となり、急に年寄りになったようだ。つまり有限の人生を強く自覚するようになったのである。
さて私が愛読する産経新聞の一面に「朝晴れエッセー」というコラムがある。令和6年8月26日に掲載された「祝寿の思い出」というエッセーを読んで、なるほどと思ったので紹介したい。投稿者は埼玉県所沢市のH.M.さん、満99歳である。先の大戦(産経新聞は好んで大東亜戦争という)で航空兵として志願し戦地に赴き、肋膜炎となり帰還している。その後古希(70歳)までは病院と縁がなかったというが、
喜寿(77歳)で胃潰瘍のため入院。
傘寿(80歳)で胃潰瘍再発のため入院。82歳、83歳で心臓ステント手術。
米寿(88歳)で胃炎のため入院。
卒寿(90歳)で転倒し足首骨折。
白寿(99歳)で前立腺がんの治療中である。
そして「私のように古希くらいまではあまり健康に関心がないが、後期高齢者といわれる75歳を過ぎると、それまでの不摂生が体に現れて病院通いになってしまうようです。」と綴っている。自分自身の祝寿を淡々と語る翁の姿が、「古希」となった私にはこれから祝寿を重ねる教えのように思えた。
 開業医に限って言えば「少医高齢化」という状況にある釜石・大槌の医療圏であるが、とりあえず喜寿を目標にもう少し頑張ってみたいと考えている。そしてH.M.さんの百寿をお祝いしたいとも思っている。
以上、症例報告のような巻頭言となりました。来年も広報をよろしくお願い致します。

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