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釜石医師会報

No.317 平成27年4月号

東北農業研究センター菜の花畑

盛岡市下厨川の東北農業研究センターでは毎年5月に2日間のみ、菜の花畑を無料で一般公開している。菜の花は約450アールの畑に連作障害防止のために植えられ、品種は「キラリボシ」。テレビのニュースで公開していることを知り昨年5月18日に訪れた。遠くに岩手山が見えたが雲が多く全景を写真に一緒に収めることができず残念だった。

小笠原内科クリニック 小笠原 善郎

巻頭言

薫(くゆ)る
平野内科医院 平野 春人

いつの間にか春を迎えその暖かな日差しの中で、診療所を訪れる患者さんの顔色も冬とは異なる晴れ晴れとした、いわゆる薫(かお)るような色合いをみせてきております。震災から4年経過した今、一見したところ平穏そうな日々を過ごしながらどこか思い悩んでしまうこともでてきております。そのこととは・・・

歴史を振り返ってみれば戦国時代、幕末そして終戦後の高度成長期。このような動乱の時代には数多くのあまたな才能が花を咲かせてきました。領主も民衆も国という概念を己が領地よりも外に拡げる想像力に乏しかった戦国は、その才能が一部の芸域を除き個々の武勇や領地拡大という個人の欲望に向かった感があるのは無理もありません。しかし幕末以降の近代から現代においての火急の時、なによりも社会が混乱し国の存亡がかかる状況においては、個を捨ててより良い社会の建設を図ろうとする大きなエネルギーを感じ取ることができました。ただいったんそのような変革が落ち着き安定期に入ると、バブル経済しかり、社会全体の目標に向かって進んでいくことよりは個人的な生活を追求する実務的な価値観が主として幅をきかせるような状況に陥りがちになってしまいます。もちろんそれ自体が悪いとか言うわけではなく、欲望そのものはあらゆる物事の原動力になるものですので否定はできません。ただそうなるとどうしても思考や行動が保守的になり、これまで築き上げてきた事柄をこわすような新たなものの導入には臆病になりがちになってしまうのが問題となってきます。

上記の事柄を東日本大震災で被災した我々医療従事者にも当てはめて考えると、一時の絶望的な状況の後で社会的な必要性を持って仮設診療所を立ち上げ(させていただき)そして無我夢中でなりふり構わず、また社会的な使命を持って診療を続けさせていただいた。そこには個人的な感情や欲求などはあまり入る余地がなく、あくまでも町の再興のためには医療というインフラ基盤が必要という行政側・民衆側からの要求を元としているのは周知の事実です。その後時間の経過とともに、廃墟だった町並みにも明かりがともるようになり、元々の住民の帰還や新たな住民の移住など、次第に活気が戻ってきているようにもみえてきました。被災した皆の心にも落ち着きが宿り、医療現場には震災前と同様の響きが聞こえるようになってきました。喧噪そして安穏とした診療の日々を過ごすうちに、自分だけかもしれませんが怖いことにあの震災直後の気持ちが薄れかかってきているのに気づき愕然としてしまうこともあります。

なぜ自分たちが今ここで仕事をすることが許されているのか?

震災後の自暴自棄的な気持ちを経て、医師としての使命感に目覚め、努力し歩んできた。その時の感情を一時的なものとせず、維持発展させるためにはどうすれば良いのか?

その答えの一つには常に新しいものを取り入れることにあると思われます。仕事のうえでも勉強のことでも進めていくことを恐れずに受け入れることが大切と考えます。幸にも医学の世界は膨大と思われるほど広く、また医師会主催やWEBの講演会も数多く存在しており、学ぶ環境には限りがありません。心の中からまた口にも出して時間が無いという言葉が出てきそうです。けれども出しても良いのです。かつて私の恩師の田村教授はおっしゃいました。人間時間の無いときほど良い仕事ができるのだよと。常に前進することそのことにより自分自身のみならず社会にとっても有益なことになることは間違いありません。そうしてみな薫(かお)る顔になろうではありませんか。

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